「独島の真実(Truth of Dokdo)について。

「韓国古地図の于山島は独島。」②

 

前ページの山陰中央新報の記事で竹島問題で韓国側研究者はこれまで「地図より文献の記録を重視すべき」と同研究会の主張に反論していた。」とあるが、元々、やたら古地図に固執して地図ばかり持ち出して来たのは保坂祐二ですよ。韓国側に言われたくありませんね。「日本の公式地図に独島は存在しない。」①でも言いましたが、

1913年に于山島は発見出来ず、謎の島だったと報道されていた。

●無人島の探検中止。

鬱島郡西面在住の金元俊さんが、鬱島(=鬱陵島)東北40-50里の位置にある無人島の于山島へ移住するために移住民を募集して、その島を探すことにしました。しかし、彼によると鬱陵島の島民が、10数年前にその于山島を共同で探索しようとしたものの、発見できなかったということです。また、その島は海図に記されておらず、何度か探索船を出したものの発見できず、中止したそうです。 毎日申報  1913.6.22

韓国の新聞『毎日申報』の1913年(20世紀)6月22日付け記事には、鬱陵島の島民が10数年前に于山島を探索しようとしたことが書かれている。1913年には、鬱陵島の韓国人が竹島を知っていたのは確実です。韓国の主張『于山島は独島(竹島)の事である。』于山島が現在の竹島なら、保坂祐二の言うように朝鮮人が当時、独島(竹島)の地形をはっきりと認識し、明確な領有意識を持っていたという点を見せている。」と、そこまで言うのなら、探索するまでもなく鬱陵島民は知っていて当然のことであるが、結果于山島は発見出来なかった。彼等が于山島を発見できなかった理由はもちろん、それが単なる竹嶼」の忘れ去られた古名に過ぎないからなのです。鬱陵島民の竹島に対する知識は、海禁政策が実施されて20年近く経てもこの程度しかなかった。そして于山島へ移住するために移住民を募集して」、前ページでも述べたように竹島は生活できる環境とは言い難い。于山島が現在の竹島で地形をはっきりと認識して、さらに明確な領有意識まで持っていたのなら、竹島がどんな環境か知っているはず。しかし于山島を住める環境だと思い、移住するために移住民まで募集している事から、そんなに大勢の人達が住めない竹島を知りながら于山島は別に存在すると考えているという事になる。やはり于山島は竹島のことではないのは明らかだ。「于山島は竹嶼です。」そして、「仮に」于山島が現・竹島のことであったとしても竹島は韓国の領土にはなりません。韓国の領域は「竹嶼」までだからです。韓国では8月15日は1945年8月15日の日本統治時代からの解放を記念し、また、1948年8月15日の大韓民国政府の樹立を祝う日である。光を取り戻した日、また失った国権を回復したという意味で「光復節(クァンボッチョル)と呼んでいる。韓国にとっては独立記念日になる。「日本統治時代が終わった後」1948年」

「朝鮮常識(1948年)

 「島嶼를 넣어서(島嶼を入れて)

「極東 東経130度56分23秒(慶尚北道 鬱陵島 竹島)とある。この「竹島」とは日本領の竹島の事ではなく、鬱陵島の隣接島の「竹嶼(チュクド)の事です。韓国での通称は「竹島(チュクド)。日本の「竹島」と同じ名称になるため混同され易いが、別の島である。要するに「朝鮮の最も東は竹嶼」という事ですね。

 「東経130度56分23秒(慶尚北道 鬱陵島 竹島)

上図のように「竹嶼(チュクド)の東経は「130度」です。下図の「竹島」の東の所にマーカーを置いてみる。

 「竹島」の東経は「131度」です。

「竹嶼(チュクド)の東経は「130度」で、「竹島」「131度」ですから「慶尚北道 鬱陵島 竹島」が現在の日本領土「竹島」の事ではないと解ります。鬱陵島」から「竹島」までは、約92kmくらい離れていますので、「1度」違うだけで100km近くの違いが出ます。これが、1945年」「日本統治時代から解放」された後の「1948年」「朝鮮人の常識」です。「明確な領有意識を持っていた」と言うのであれば、それは「竹嶼」ということになりますね。

韓国人歴史家の玄采が監修し、光武03年(1899年)に作られた地理書「大韓地誌」。これは、まだ韓国が日本の保護国になっていなかった時代に作られた地理書であり、当時、「学校教育」でも使用されていた「準公式文書」である。国立国会図書館関西館(京都)に所蔵されていた。この「大韓地誌」を見ると、日露戦争以前から、韓国が竹島を日本領土として認識していた事実が確認できる。第一編<第一課 位置 幅員 海岸>では、「わが大韓民国の位置はアジアの東部に在り、支那の東北部から日本海と黄海・渤海の間に突出した半島国で、北緯33度15分より42度25分に至り、東経(英国グリニッジ天文台を基準とする)124度30分より130度35分に至り、東は「日本海を界」とし、西は黄海を臨み、東南は一海峡を隔てて「日本の対馬」と相対し…」と記載されている。竹島の位置は東経131度52分であり、ここに記載されている「わが大韓民国」には含まれていない。また、韓国側が竹島の古い名称と言い張る「于山島」は、地図上で鬱陵島の北東に隣接しており、竹島ではなく、現在の「竹嶼」を指している。

 「現・竹嶼。旧・于山島と呼ばれていました。」

 

結論・やはり「于山島」竹島/独島」ではありません。明らかに「于山島」「鬱陵島の隣接島」「竹嶼」としか考えられない。

 

 

 

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