「独島の真実(Truth of Dokdo)について。

 「日本の公式地図に独島は存在しない。」②

 

「大日本輿地全図略」

これも動画には登場しない地図。「1853年」・嘉永6年。

ブログの内容からすると韓国人の方のブログだと思いますが、この地図でこうコメントしていました。

「鬱陵島を「竹シマ」と表記してその下に「独島」を表記した。やっぱり、「鬱陵島」「独島」を韓国半島のような彩色にして、「韓国領土」なのを確かにしている。」

竹島はむかし松島と呼ばれ、鬱陵島は竹島と呼ばれていた。上記の地図には鬱陵島と見られる島に「竹シマ」とある。その下に小島があるが、「独島」を現在の問題となっている「竹島/独島」と言うのであれば、どう考えたらあの「竹シマ(鬱陵島)の下の島が現・竹島と思えるのだろうか?位置こそズレているものの、鬱陵島に隣接する小島を考えれば竹嶼(チュクド)であると思うんだ。あれを現在の竹島と言うには位置がおかしいだろう。

位置で言うなら大体、あの辺りでしょう。しかも何処に「松島」と書かれているのか? “「独島」を韓国半島のような彩色にして” 「竹嶼」であるなら鬱陵島と同色なのは不思議では無いのだけど、地図を見ての通り、朝鮮と鬱陵島は黄色く色付けされているが、日本の大部分も黄色く色付けされている。 “彩色にして「韓国領土」なのを確かにしている。” それを言ったら「對馬(対馬)は九州と同じく緑色で色付けされている。韓国は「対馬は歴史的に見ても韓国領土!」と対馬に訪れる韓国人観光客も「対馬は韓国のもの!」と捏造主張しているが、それは気にしていない様だ。地図には、「出雲(出雲国は、かつて日本の地方行政区分だった国の一つで、山陰道に位置する。現在の島根県東部にあたる。)「對馬(対馬(旧字体は對馬)は、日本の九州の北方、玄界灘にある長崎県に属する島である。)とか「加賀(加賀国は、かつて日本の地方行政区分だった国の一つで、現在の石川県南部にあたる。)等々、国名が記載されているが、これも国絵図と同じ類の地図なのでしょうか?これで “「韓国領土」なのを確かにしている。” と言うのは見当違いです。元の上記の地図でも上部が途切れているように、この地図には上部にも地図が付いている。

「萬国地球全図、大日本輿地図略」(1853年・嘉永6年)というようだ。見て解る通り日本や朝鮮の領土を確かにするような地図ではないでしょう。

 さて、動画に戻ります。

「大日本全図」

この地図は陸軍参謀局の「木村信卿」が表した「大日本全図」(1877年) (元サイズあります)

「木村信卿」 日本で最初の陸軍図式「路上図式」を作成。幼名、長信。通称、大三郎。号、柳外。現、仙台市青葉区柳町通の武士出身。8歳で藩校養賢堂に師事。その後、仙台藩に出仕し洋兵学などを学び、安政4年(1857年)に江戸へ出て洋兵学、蘭学、仏学などを学び、慶応2年(1866年)には横浜でフランス公使館書記官に会話・翻訳を学んだ。明治のはじめ横浜太田町で高橋是清と同居。漢学を安積艮斎(あさかごんさい)に、蘭学を大村益次郎・戸塚静海に、フランス語を村上英俊・入江文郎に学ぶ。仏国公使館書記官。兵部省出仕。明治5年(1872年)陸軍省7等出仕。明治6年(1873年)少佐、編纂課長兼地図課長となり、兵語辞書編纂。築造書翻訳。明治8年(1875年)陸軍参謀局第5課地誌課長。明治10年(1877年)渋江信夫と共に「陸軍参謀局」から発行された百十六万分一「大日本全圖」を完成。しかし、明治11年(1878年)地図密売疑惑事件が起き職を解かれる。明治14年(1881年)1月非職であった木村信卿と参謀本部職員地図課職員渋江信夫、木下孟寛、他二名は、日本全図を清国公使館に密売した容疑で拘引される。また、同年5月3日の参謀局で西洋画の指導をしていた川上冬涯が熱海で謎の死をとげ、更に、拘留中の渋江信夫が自殺する。信卿は、晩年を石巻で過ごした。

これは動画には登場しないけど、これも「大日本全図」 「1877年」・明治10年2月16日 大崎正 石川県士族(作者名)

まず「陸軍参謀局」「木村信卿」が作成した「大日本全図」(1877年)ですが、日本の「陸軍参謀局」「1875年」「亜細亜東部輿地図」を作製したのですが、「1875年」には「サンクトペテルブルグ条約(いわゆる、千島・樺太交換条約)により、日露国境確定。これまで「得撫島以北の千島は露西亜領、樺太は日露国境未確定」となっていたものを、「樺太の全権利をロシアに渡す代わりに、得撫島以北の千島も日本領とした。」千島・樺太交換条約の正文はフランス語です。日本語訳文とフランス語正文との齟齬は「日露和親条約(1855年2月)において得撫島より南、択捉以南のいわゆる北方四島はすでに日本領として確定していたため、千島・樺太交換条約においてこの誤訳が問題となる事はなかったそうだ。

「1875年」(明治8年)5月「千島・樺太交換条約」を締結しました。

「陸軍参謀局」「1875年」に作製した「亜細亜東部輿地図」(←大サイズ)この図には「千島」どころか、「北方四島」「北海道」もこの有り様(下左)。この図には昔、「竹島(もしくは磯竹島)と呼ばれていた島が「松島」という島名で書かれ、この「松島(鬱陵島)と朝鮮半島の間に存在しない島「竹島」という島名で書かれている。その一方、「鬱陵島」と隠岐の間にあるはずの「現・竹島」は描かれていないのが解る。

 

上記の「竹島」「松島」を見てみましょう。上記で述べた通り、この「竹島」は存在しません。下図を見ての通りこの「松島」鬱陵島(旧・竹島)ですね。陸軍参謀局」のこの地図は明らかな認識の間違い地図ですね。これは1875年時。

「陸軍参謀局」は同年11月、朝鮮八道全図、大清一統輿図、及び英米が刊行した測量海図などを基に「朝鮮全図」を作成して、後年、農商務省図書館にも所蔵された。この図の竹島・松島拡大図」を見てみましょう。

見ての通りです。「陸軍参謀局」「1875年」に作製した地図です。では、動画の陸軍参謀局」「木村信卿」が作製した「1877年」「大日本全図」。

この地図では北海道や千島は描かれるようになった。しかし「竹島」「鬱陵島」は見当たらない。先の地図は「1875年」で間違い図ではあるものの、「松島」と記載されてしまった「鬱陵島」だがそっくりに描かれている。そして存在しない「竹島」「1877年」の太政官の内務省の通達「竹島外一島」の件。「古文書を見ても独島は韓国領土。」① 参照)。この当時は「鬱陵島」「竹島」「松島」と一島二名の混乱があり、「松島」「鬱陵島」を指す記述、「2つの鬱陵島」が記述されている等がある。後の「1880年」日本政府は、混乱した鬱陵島の周辺を調査し確認し、当時誤って「松島」と称せられていたのが、古来の鬱陵島であることが確認された結果、その後の刊行にかかる海図では、「鬱陵島」に該当する島を「松島」、今日の「竹島」に該当する島を「リアンコールト岩」と称した。この「1877年」「大日本全図」の時以前から正確に認識されていなかったのです。混乱したのには原因があるからです。「竹島」「鬱陵島」は描かれてはいないが、だからと言って動画の最後にあるような「結論。日本は長い間、独島を韓国領土として地図に描き、日本の公式地図からは除いて、独島を韓国領土として認めて来ました。」という事にはならない。既に述べた通り、日本の島数は「6,852島」です。全て描けるはずがない。認識に混乱がある「1877年」「陸軍参謀局」が制作した「大日本全図」を持ち出して来るのも、現在の竹島が描かれていない事から、韓国は「1905年以前にも日本が竹島を領有していたとする日本政府の主張は虚偽である。」と言いたいのでしょう。でも、幕府は松島(現・竹島)への渡航許可を「1656年」に出しているので、少なくともそれ以前に竹島(旧・松島)は日本人の経営支配下に入っていたことを意味する。つまり、韓国は竹島に対して実効支配をしていないのである。最初に現・竹島を実効支配したのは日本ですそもそも竹島が韓国領であった事を証明するものは何もない「1905年」に編入され日本領となった竹島が、1905年以前に制作された日本地図に存在しないのは当然でもある。でも実際は「江戸時代」国郡全図日本国総図」江戸時代」「松島絵図」「最上徳内」『蝦夷風俗人情之沙汰付図』(1790年・寛政2年など他にも描かれている古地図はあったりする。この「大日本全図」のように描いていない地図をどんなに収集しても、「竹島」「韓国領であった証拠にはならない」。竹島を韓国領とする実証ができない韓国が、「日本政府の主張は虚偽である。」と言うのは、「竹島の不法占拠」を正当化するための宣伝工作でしかないのです。もう一つのカラフルな「大日本全図」 「1877年」・明治10年2月16日 大崎正 石川県士族士族・明治維新後、もと武士階級に属した者に与えられた族称。華族の下、平民の上に置かれた。第二次大戦後に廃止(作者名)。この大崎正」という作者は詳細が見付からないので解りませんが、あの「大日本全図」「竹島」が描かれていなくても同様の事が言える。あれで日本が「韓国領土として認めた。」という意味は無いのです。くどい様ですが、「陸軍参謀局」「木村信卿」が作製した「大日本全図」においてもやはり決め台詞の「独島はありません。」と言う。しかし、最後に「日本は独島を韓国領土として地図に描き」と言う。「地図に独島はありません。独島を地図に描いている。」なんのこっちゃ…。1877年」に文部省が発刊した「日本全図」には現在の竹島はなく、「アルゴノート島(竹島)「ダージュレー島(松島)があるのみです。

上記の2島を拡大しますと、見ての通りこの「松島」鬱陵島(旧・竹島)ですね。陸軍参謀局」の地図と同じですね。

陸軍参謀局」の図も「アルゴノート島(竹島)「ダージュレー島(松島)なのです。

では、「アルゴノート島」「ダージュレー島」という島について。

ダージュレー島とアルゴノート島」

「1787年」、フランスの航海家ラ・ペルーズが「鬱陵島」を発見して、これを「ダージュレーDagelet島」と命名しました。「1789年」には、イギリスの探検家コルネットも「鬱陵島」を発見しましたが、彼はこの島を「アルゴノートArgonaut島」と名付けました。アルゴノートは彼が乗っていた船の名前です。このダージュレー島とアルゴノート島はそれぞれ違う緯度と経度だった為に、後の欧米の地図では2つの「鬱陵島」が描かれる事になるのです。ジョン・トムソンという人が「1815年」に作製した「朝鮮と日本」の図にも、「2つの鬱陵島(ダージュレー・Dageletとアルゴノート・Argonaut)が載っている。欧州の探検家や地理学者は、完全に日本海周辺の島を間違って認識していることがうかがえる。

「John Thomson 「朝鮮及び日本図」(1815年)

2つの鬱陵島(DageletとArgonaut)が載っている。
 

J・C・ウォーカー「日本図」(1835年)

「1840年」、長崎出島の医師シーボルトは「日本図」を作成しました。シーボルトは江戸時代の最も有名なヨーロッパ人であるが、彼が日本地図を作製するときに、隠岐島と朝鮮半島の間には西から「竹島」(現在の鬱陵島)「松島」(現在の竹島)という2つの島があることを日本の諸文献や地図により知っていました。その一方、ヨーロッパの地図には、西から「アルゴノート島」「ダジュレー島」という2つの名称が並んでいることも知っていました。このため、彼の地図では「アルゴノート島」「タカシマ」「ダジュレー島」「マツシマ」と記載されることになりました。これにより、それまで一貫して「竹島」又は「磯竹島」と呼ばれてきた「鬱陵島」が、「松島」とも呼ばれる混乱を招くこととなりました。

フィリップ・フランツ・バルタザール・フォン・シーボルト 「日本図」(1840年)


という事です。地図に載っていないだけで「独島は無い!韓国領土として認めた!」とか、現在の竹島」はむかし「松島」と呼ばれていたからと「鬱陵島」「松島」と記載されている地図を見て、「独島に松島と書いてある!」とそれだけで判断するのは短絡的なのです。

「新選 朝鮮国全図」

「新選 朝鮮国全図」この「松島」「鬱陵島(旧・竹島)ダージュレー島ですね。朝鮮半島の間にある「竹島」も幻のアルゴノート島でしょう。

この地図の白い日本の部分の「對馬(対馬)「沖島」「小倉」の所と幻の「竹島(アルゴノート)「松島(ダージュレー)と記載された「鬱陵島」にも、先のシーボルト図の座標からマーカーを付ける。ダージュレー島は現在の「鬱陵島」と殆ど同じなんですね。そして現在の「日本領の竹島」です。

「対馬、沖ノ島、小倉」をポイントにラインを引く。と、こんな感じです。小倉は「ダージュレー島」「現・鬱陵島」と殆ど一直線ですね。新選 朝鮮国全図」「陸軍参謀局」「1875年」に作製した「亜細亜東部輿地図」「1877年」に文部省が発刊した「日本全図」にも同じポイントからラインを引いてみる。

先で紹介した通り、「1875年」「陸軍参謀局」のこの地図は「松島」「鬱陵島(旧・竹島)です。「1877年」に文部省が発刊した「日本全図」にも現在の竹島はなく、「アルゴノート島(竹島)「ダージュレー島(松島)です。昔の地図なので多少の位置のズレは解りますが、位置関係を見れば「新選 朝鮮国全図」「松島」「竹島」「アルゴノート島・ダージュレー島」でしょう。現・竹島「東経131度」です。アルゴノート島は「東経129度」です。鬱陵島は「東経130度」です。ダージュレー島も「東経130度」です。ついでにポイントの「小倉」「東経130度」です。動画で言っている「現・鬱陵島」「現・竹島/独島」ではないでしょう。動画で「独島が韓半島と同じ色で韓国領土として描かれました。」と言っているけど、それを言うなら…

【唐土歴代州郡沿革地図】

中国の地名を時代ごとに綴った地図帖。寛政元(1789)年に長久保赤水が刊行したこの地図帖は、はじめて歴史地図帖という形式がとられたことと鮮やかな彩色で人気を集めた。その模倣版のひとつで1835(天保6)年に刊行されたもの。「松シマ」「竹シマ」「ヲキ」日本と同じ赤褐色に彩っている。「同じ色で韓国領土」なら「同じ色で日本領土」になってしまいますよ?ちなみに、動画にはもちろん出てきませんけど、

「朝鮮常識問答」(1946年初版)

鬱陵島を極東とする大韓帝国以来のこの「領土認識」は、「日本統治時代が終わった後も」変わりが無かった。「崔南善(チェ・ナムソン)」の「1947年」刊行の「朝鮮常識問答」、要するに「朝鮮の常識Q&A」ですね。

「朝鮮常識問答」「朝鮮常識」の復刻版です。

赤文字の訳朝鮮의 지도상에 있는 위치는 어떠합니까(朝鮮の地図上に於いて位置はどの様なのか)」 「반도만으로는(半島だけでは)」 「동경130도41분22초 로부터 124도18분35초 까지(東経130度41分22秒から124度18分35秒まで)」 「북위 34도 17분 16초 로부터 43도 0분 36초 까지요(北緯34度17分16秒から43度0分36秒まで)」 「도서를 넣으면(島嶼を加えれば)」 「동경130도 56분 23초 로부터 124도 11분(東経130度56分23秒から124度11分)」 とある。

朝鮮常識問答の和訳版もあるようです。「島嶼を入るれば、東経130度56分23秒から124度11分00秒まで」「北緯33度06分40秒から43度0分36秒まで」

島嶼を加えた場合の「130度56分23秒」は、見ての通り島嶼を入れても韓国の東側は「鬱陵島・竹嶼(チュクド)までで、「現・竹島」を入れていませんね。先に述べた通り「日本の統治時代が終わった後。」です。8月15日。韓国では、1945年8月15日の日本の統治時代からの解放を記念し、また、1948年8月15日の大韓民国政府の樹立を祝う日である。光を取り戻した日、また失った国権を回復したという意味で「光復節 (クァンボッチョル)」と呼んでいる。韓国にとっては独立記念日になる。

「朝鮮常識(1948年)

「島嶼를 넣어서(島嶼を入れて)

「極東 東経130度56分23秒(慶尚北道 鬱陵島 竹島)とある。この「竹島」とは日本領の竹島の事ではなく、鬱陵島の隣接島の「竹嶼(チュクド)の事です。韓国での通称は「竹島(チュクド)。日本の「竹島」と同じ名称になるため混同され易いが、別の島である。要するに「朝鮮の最も東は竹嶼」という事ですね。

東経130度56分23秒(慶尚北道 鬱陵島 竹島)

上図のように「竹嶼(チュクド)の東経は「130度」です。下図の「竹島」の東の所にマーカーを置いてみる。

「竹島」の東経は「131度」です。

「竹嶼(チュクド)の東経は「130度」で、「竹島」「131度」ですから「慶尚北道 鬱陵島 竹島」が現在の日本領土「竹島」の事ではないと解ります。鬱陵島」から「竹島」までは、約92kmくらい離れていますので、「1度」違うだけで100km近くの違いが出ます。

1899年『大韓地誌』 (大韓帝国の最初の地理の教科書)

韓国は「日本海」ではなく「東海」とか「朝鮮海」と主張する。「日本海」の名前は日本が命名したわけではない。日本列島がなければ、この閉鎖性海域はそのまま太平洋ということになる。韓国は以前から特定の国の名前をつけるのはふさわしくないと主張しているが、「東シナ海」「メキシコ湾」「インド洋」の例があるでしょう。しかも、韓国は「対馬」は歴史的に韓国領土と主張するが、「日本對馬島」とある今は「対馬」(旧字体は對馬)日本の九州の北方、玄界灘にある長崎県に属する島です。

では、動画に戻りますが最後に…

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 「結論・日本は長い間、独島を韓国領土として地図に描き、日本の公式地図からは除いて、独島を韓国領土として認めて来ました。」

散々、日本の公式地図に「独島はありません。」と言いながら、最後に「日本は独島を地図に描き。」と言い出す。しかも、「新選朝鮮国全図」においては「日本が作成した「新選朝鮮国全図」には、独島が描かれました。」と持ち出す。相も変わらずデタラメですよ。「公式地図」と言うのなら、最初に登場した日本地図の日本地図(都道府県別)から地図を検索 :マピオン という検索サイトの地図を持ち出すのはおかしい。マピオンの地図は現代の一企業のサイトです。現代の地図を「公式地図」と持ち出すのなら、しっかりと「竹島」が掲載されている、「国土交通省」の「国土地理院」の地図閲覧サービス「公式地図」とは言わないで、マピオンの地図を持ち出す。私がGoogleの画像検索で「日本地図」と検索したら一回目で上部に出ました。簡単に見付かる地図です。この「独島紹介サイト「独島の真実」、日本語版開設」という記事を見た時、「保坂教授が長期にわたる研究結果に基づき資料の整理と監修を行った。」とあるが、保坂祐二の長年の自由研究の成果が辿り着いた所が「マピオン」のサイトなのですか?保坂祐二は韓国に帰化した日系韓国人であるが元々、日本人だし日本語でサイトを開設している事からまだ日本語が解ると言える。マピオンのサイトに行ったのならどんなサイトかは解るはずです。既に述べた通り「竹島」があるか知りたければ、島根県をクリックすれば島根県の地図に「竹島」がある事は知り得るはずです。それで「独島(竹島)は存在しない。」と言う。それを言うならこちらも同様の事が言える。所在地が「ソウル特別市 麻浦区」にある、韓国の韓国旅行サイト「株式会社コネスト」というサイト。ここの「韓国地図」をクリック。

こんな地図が出る。
「韓国全体地図」をクリック。

「韓国の「公式地図」の全体地図」に鬱陵島迄で「竹島」が無い!

何て事は言わないように。鬱陵島の「エリア詳細地図を見る」をクリックする。
拡大する。
気の毒な
「日本領・竹島」。しかし赤マルの部分。
「竹島」「独島독도

まぁ、日本語版のサイトなので日本人への配慮でしょう。でもマピオンと同じです。この地図を持ち出して日本人が「韓国は竹島を日本領土だと認めている。」と言い出したら保坂祐二や韓国人は納得しますか?しないでしょう。どうして「日本の公式地図からは除いて、独島を韓国領土として認めて来ました。」という不思議な解釈に至るのかワケわからん。しかも、動画の地図には「正保日本図」は拡大されていて「対馬」は見えませんが、「対馬」と記載して○を付けている。マピオンの地図まで何を持って「公式」と結論付けたのか今一つ不思議ですが、保坂祐二やこの彼の自由研究の動画を「正しい物」として認めている韓国人にとっては「日本の公式地図」なのですね。「日本の土地の図」「対馬」が描かれて○印も付けている。なら、「対馬」「公式に日本の土地」と認めている事と同じです。韓国が制定した「対馬の日」などというものもある上に、「対馬」に訪れる韓国人の観光客も「対馬は韓国のものだ!」などと言っていますが、「大嘘でした。」と自爆していますね。日本人からして見れば、最初から捏造なのは解っていました。

保坂祐二や韓国人は「独島」のみの一点に全力で集中して、「日本の地図に独島が無い!」とその他の状況は瞬殺で「日本は韓国領土として認めている!」と判断するとおかしくなる。

動画に登場する、「マピオン」「行基図」「ポルトラーノ」「慶長日本図」「正保日本図」「元禄日本地図」「享保日本地図」「大日本沿海輿地全図」「大日本全図」「新選 朝鮮国全図」は全部、日本側の地図です。韓国に「現・竹島」を描いた古地図は存在しないのですね。捏造地図は駄目ですよ?韓国は古地図の「于山島」「独島」つまり、現・竹島の事だと主張していますが、それは残りの動画で出てきますのでその際の検証で触れましょう。

 

 

 

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